2020年12月6日日曜日

#殺すな 殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ(12/6)に寄せて

 本日12月6日の下記のデモ、本当は代々木に行って、声をあげたかった。殺すなと言いたかった。それだけ私には感じるところ、思うところのある事件でした。

殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ(12/6)

しかし諸事情によりどうしても参加が叶わず、デモに参加できない代わりにこのような文章をしたためることにいたしました。

渋谷区幡ヶ谷のバス停で(バスの乗り降りがない時間だけ座っていたという)ホームレスの女性が殺害されたというこの事件は正直、ホームレス状態ではない女性たちにおいても「他人事ではない」という危機感を募らせていると私は感じています。SNSでも「他人事ではない」「自分でもおかしくない」という意見が散見されました。

私もその一人と言えるでしょう。コロナで4月に雇い止めにあい、生保を受け、その後(以前からすでに治療は受けていた)うつ病のために障害年金を申請したところ受理されました。現在、障害年金と原稿と講座の仕事で暮らしている私。しかしこれがもし住居もなく(今は知人の厚意で貸してくださっている家に住んでいます)、家族もなく、住む場所もなく、バス停のベンチで寝起きを余儀なくされていたとしたら。それは私にとっては「違う世界」の話では全くないのです。あの殺されたMさんは10数年後の私の姿かもしれない。

殺害者はゴミ拾いのボランティアをしていたと報じられました。身寄りがなく、貧しくて、住む家もない女性は彼にとっては「ゴミ」に見えたのでしょうか。このような事件が起きるとゴミ拾い(拾った後「始末」される)という言葉がひどく暴力的なものに思えます。事実ホームレス状態の人を宮下公園から排除することに嬉々としていた渋谷区ではゴミ拾いのボランティアが盛んだそうです。さらに1964年の東京オリンピックでもゴミ拾いが盛んに行われており、またオリンピックのために路上で生活していた人を追い出していたと、先日友人から知りました。ゴミは本当に無駄なのか。ゴミって何なのか。ゴミだから悪いのか。

LGBTQの人たちのことを「生産性がない」と言い放った政治家もおりますが、産まず、貧しく、身寄りもない女性はをゴミと考え、ゴミはとにかく悪いものとみなし、生産性がないと突き放せる、そんな価値観に囲まれながら今の私たちは生きている。その現実がよくわかる事件でした。

しかし、ホームレス状態の女性で殺されたのはこの幡ヶ谷の女性だけではありません。

2020年に限った話でも3月30日、上野公園で70代のホームレス状態の女性が殺されました。この報道を読む限り、殺害容疑の作業員の60代男性は「逃走の恐れがないため」逮捕しなかったという異例の事件でした。

「上野でホームレス女性殺害容疑 60代の男を書類送検」

また3月25日に起きた朝日大学に当時在籍していた男性5人によるホームレス男性の殺害されましたが、彼らはホームレスの女性にも常日頃石を投げていました。しかもこの事件は、殺人事件が起きる以前に、殺害された男性が警察に何度も相談をしているにもかかわらず起きた事件なのです。

最後に渋谷のデモに参加できたなら持っていこうと思っていたプラカードの画像を挿入し、Twitterデモで呟くハッシュタグを載せます。


#ゴミってなんだ

#ベンチに座らせろ

#渋谷区ホームレス女性殺害に抗議する

#野宿者に対する排除と暴力を許さない

#殺すな #殺すな #殺すな









0 件のコメント:

コメントを投稿