2013年11月13日水曜日

非正規割合36.7%に上昇/労働力調査・詳細集計7~9月期平均

●非正規割合36.7%に上昇/

労働力調査・詳細集計7~9月期平均総務省が12日に公表した労働力調査詳細集計の2013年7~9月期平均結果によると、役員を除く雇用者は5,205万人で、このうち非正規は1,908万人となり、四半期ごとに集計を開始した02年1~3月期以降最多を記録した。非正規の占める率は36.7%となった。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/index.htm 

上記のリンク先には「結果の要約」として非正規の職員・従業員について,現職の雇用形態についた主な理由を男女別にみると,男性では「正規の職員・従業員の仕事がないから」の占める割合が最も高く,女性では「家計の補助・学費等を得たいから」の占める割合が最も高いとありましたが、第1-5表 現職の雇用形態についた主な理由,転職等希望の有無別非正規の職員・従業員数 を見ると、その他の女性の回答としては、「自分に都合のよい時間に働きたいから」が2位で298万人、3位は「家事・育児・介護等と両立しやすいから」と同数で「正規の職員・従業員の仕事がないから」が177万人となっていました。

男性はもっとも割合の高い回答「正規の職員・従業員の仕事がないから」は171万人でした。そもそも、この統計は男女別に取っているのですが、男性の回答の総数が611万人に対し、女性の回答の総数が1297万人であったということも掲載すべきではないかとも思いました。ともすれば「女は非正規(パート・派遣)を望んでいる」という事を言われますが、こういう統計の読み取りにも注意すべきだと改めて感じます。

2013年10月28日月曜日

インタビュー記事が掲載


「働く女性の人権センター いこる」からの情報誌「いこ★る」2013年秋号に、私のインタビュー記事が掲載されました。このインタビュー私が労働問題にかかわるきっかけや、その後の経緯、そして今考えていること等、とてもわかりやすくまとめてくださっています。もしよろしかったらぜひお手に取ってご覧ください。私のインタビュー記事と榊原裕美さんの論考が「乙女ハウス」という言葉でつながって読めるのもまた趣き深いです。ただ、まだ通信の紹介のサイトが最新号のことは載ってないみたいです・・・。

http://homepage3.nifty.com/hatarakujosei/

「ひきこもりを地域の力に ~秋田・藤里町の挑戦~」を見て思ういろいろ


今日実家に戻って久々にテレビを見たら、NHKのクローズアップで秋田県藤里町の「ひきこもり」「調査」と「対策」を取り上げた番組をやっていた。
この番組では秋田県の藤里町に住むいわゆる稼働年齢層の10人に1人が引きこもり状態にいたこと、そしてこれは、秋田県が特別ということではなく、本気で調べればどの自治体もこういう数字なのではないかということ、そして引きこもりの人に対して最初「カウンセリング」「遊ぶ場を作る」といった対策をしたがそれでは誰も来ず、ヘルパー研修のチラシを引きこもり状態の人が住んでる家に撒いたところ、その説明会に引きこもり状態にいた人の多くが集まったこと、そしてそこから「中間的就労」(最低賃金より安い!)の場で「社会的接点」が生まれてる(らしい)様子が描かれていること・・・が放送されていた。

私がこの番組を見て思ったことは、確かに引きこもりとなるとすぐ「病」(精神疾患)と結びつけてかんがえられがちだが、そこに「労働」という問題というか「社会的なるもの」を介在する必要があるということだ。
そして日本の場合労働と社会的接点が結びつきがち(これそのものももっと突っ込んで考えないといけない)ゆえに、就労支援が社会的接点を作る場所として考えられるが、それの可能性と限界をどこまで見極めるかということも重要だ。
というのも、中間的就労というのはいわば、「労働法が適応されない」仕事だ。私たちの周りは「労働法が適用されない労働」が周りにあふれている。それはひとつの重要な生命を支える「仕事」なのに賃金を労働法に見合った基準で支払われることにはならない。

こういうインフォーマルな労働と引きこもりの関係、そしてなぜそこに「男性」がこういう状態になると注目されるのかということをもっと突っ込んで考えたい。
それこそ男性ならば社会的接点を持つよう、より「迫られる」ということ、逆に女性はその「迫られ」感が薄いとしたら、それはいったい何なのかということ。そしてやはりこの番組でも引きこもりといえば「男性」が映されるということは、男性がインフォーマルな仕事で働くことは「変化率が高い」故に注目されるのだ。といってももう既にこのような現実は10年以上前からおこっていることで、未だにこのことが「変化率が高い」としてマスコミが取り上げること自体にもまた、日本のジェンダーに関する意識の欠如が現れているということだとも思う。


「社会的接点」という言葉が何度もこの番組ででてきた。私はこれは必要だと思ってる。社会的という言葉はうさんくさいが、社会的とは、まずは「家族以外の存在」であり、さらに家族以外の経済サークルとわたしは考えている。確かに「社会に出ろ」というプレッシャーゆえに、もうこの「社会的接点」というものそのものが非常にうさんくさくなっている。それこそ不登校において「学校に行け」という言葉が非常に強圧的だったように。その極めつけが社会人という言葉のいやらしさ、うさんくささだ。だが、逆に「仕事をしたい」と切実に語る人の話を聞くと、そこがまさに家族以外の人間と接する場であり、経済サークルでもあるという「社会的な接点だから」という人も結構いる。
そしてこの社会的接点をインフォーマルな労働に見いださざるを得ない人が多くなってしまっているということは事実だと思う。というかこれは昨日のアジア女性交流プログラムでもわかったのだが、それこそ経済成長著しいと見られるインドでさえ女性労働者の状況は「過去20年間の新規雇用の創出はインフォーマルセクターで生じている」ということなのだ。しかもインドの経済成長は「雇用創出を生み出すものではない」と語られていた。もう、経済成長と雇用創出をイコールで結びつけてはならないのだ。経済成長と雇用創出は結びつかないが、生活に必要な労働はある。その労働をなすことが「社会」につながることであり、生きていけるようになることで、はじめて「社会」という言葉がうさんくさくなくなるのではないか。少なくともその労働とはそれこそ、障がいを持つ人が、着替えるのに足をあげるのも労働といったことや、ケアを受けるのに指示をし、コーディネートするのも労働・・・というレベルにまで考えていく必要があるだろう。


社会的接点を奪われると人は本当にやる気や自信を奪われ「病」的な症状がおこることはとても多い。特に女性はハラスメント等でその接点を奪われがちで、それがまた「病」的な状況になる。その病こそが社会的なものなのだけど・・・そして社会的接点といわゆるフォーマルな労働は結びつけられるが、分けてかんがえざるを得ないのが現状だ。さらにそこでフォーマルな労働につけず、そこにインフォーマルな労働が社会的接点と抜きがたく結びつく場合が多いというのも現状。さらにインフォーマルセクターでの労働が増えている中で労働法や、社会保障などをどう考えていくかということ、そして社会的接点を奪われるという問題は「男性の身に起こる」と非常に問題視されるという点で、厳然たる「性差」がいまだにあるのだ。

やっぱり私は「女性」の「社会的接点」とは何かということを考えたい。その際に「社会」という言葉「公」という言葉が持つ、マッチョなものを厳密に批判する視点を持たなければならない。

とりとめないけど、とりあえずここまで。

2013年10月11日金曜日

『セックスワーカー×支援者サポートハンドブック(SWEETLY × Japan HIV Center出版)』を読んで

 私は、10月1日の午前中、宝塚大劇場にて宙組の「風と共に去りぬ」を見ながら不覚にも泣いてしまっていた。レット・バトラーの「情婦」、「商売女」と呼ばれるベル・ワットリングが南北戦争でかかる軍資金を寄付しようと、お金を手渡そうとするのだが「あんな女の金は汚い」といって受け取ってもらえない。その心ない扱いに対して「商売女だって、南部を思う気持ちは同じなのに、私だって人間なんだ」と叫ぶシーンで、思わずうるっときたのだ。
その一幕が終わった後、私に宝塚の面白さを教えてくれたSWEETLYの御苑生さんに劇場でお会いした。たまたま同じ日に観劇に行く事がわかり、幕間に会おうという話となったのだ。そこで、この本を渡してくれたのだ。
なんという…タイミング!


Sweetlyとは、「Sex Workers! Encourage, Empower, Trust and Love Yourselves! スウィートリー」という1995年にセックスワーカーの自助グループとして発足した団体だ。私は昨年に、メンバーである御苑生さんと知り合うとともにその存在をはじめて知った。
 私はこの本をめくるたびに、あのベルのセリフと、宝塚大劇場を思い出すだろう。というのも、ベルのセリフの「私だって人間なんだ」というセリフは、この本の主張につながるコアなものだったから。そして、この本について御苑生さんと語った場所が「宝塚大劇場」だったからだ。

 それにしてもこの本の構成はよく考えられているなあとおもった。ピンク色の側の表紙と、緑色の側の表紙との両方が「表紙」となっている。ピンク色の表紙を開くと「支援に役立つ情報とポイント」緑色の表紙を開くとセックスワーカー当事者がファシリテーターとなる「ワークショップマニュアル」となっている。情報と知識、そして実際に出会って学ぶ事。この両方がそろってこそ、本当にセックスワークについて「知り」、セックスワーカーに「出会う」ことが可能であると本の作りそのものが示唆しているようだ。セックスワーカーが一方的に視線に晒される対象であるようなかたちで、セックスワークをテーマとしている本や、一方的に聞き取られる側にセックスワーカーをおいた上で「売春について調査しました」という本はかなりあるが、セックスワーカーが中心となって行うワークショップが紹介されている本は極めて少ない。セックスワークに関する本を書くならば,それこそこの本を読んで、ワークショップなども参加し、相談の受け方(つまり話の聞き方)を学ぶことからはじめた方がいいのではと思いもした。
 この本ではセックスワーカーに対するNGワードについて語られているが、それは「偏見が繋がりを阻む」からだ。よく「あなたに不快をあたえてすみません」的な言い回しがあるが、不快を与えたからいい悪いではなく、どんな言葉が、考え方がセックスワーカーと自分を引きはがすかを考えた方が良いという事だ。逆に言えば、セックスワーカーと自分を引きはがすということは、どういう意味があるのか、そういうことをNG ワードから考える事が大事なはずだ。

この本は無料配布されるそうですが、次の冊子を発行するためのカンパは大歓迎との事。私もいくばくかの寄付と同時に、宣伝をしたい。sweetly のメールアドレスは sweetly.cafe@gmail.com

ここから少し私語りになるのをお許しいただきたい。

2013年9月15日日曜日

天賦人権論に関する片山さつきの話を思い出してみる

ちょっと前に話題になった自民党の憲法改正案に関する片山さつきの「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
という発言について改めて考える。何というか,私たちは、ほんとうにまず天賦人権説というものの実効性ということについて考えたことがあるのだろうかという観点からだ。
 この発言を受けて、ヴェイユの「根を持つこと」やスピノザの「国家論」とかを友人と読んだりしてみて感じたことは、片山さつきのこの発言は、いわゆる権利がいわゆる個人だけが存在していたら実効性を持たないというあからさまな「現実」を、逆手に取った発言だと思うからだ。肝心なのは、天賦人権説の有無より、私たちが実効的に権利を保ち得る「集合体」とは何か?という問いを持った方がいいのではないかということだ。そこであらためて片山さつきの変なところを指摘できるかもしれないからだ。つまりそこですぐに「国を維持するには自分に何が出来るか」という「個」に立ち返らせるところこそ「変」なのではないか?と。
私たちは、むしろもっと「関係」と「複数」で考えなければならないところを「個」にさせられ、しかも「関係」と「複数」の考え方が酷く脆弱だからこそ、それこそ企業をモデルとした関係と複数性に持っていかれてしまうところにあるのではないか、とおもう。これはまだ覚え書きなんだけど、とりあえず、感じたことをぱらぱらとまとめておく。私は法律のど素人なんで、あくまでこのあたりは感覚でしかないが、それでも字にしておいた方がいいと思ったのでこのあたりで。。

秘密保全法案に対するパブリックコメント

久々に更新します。

秘密保全法に関するパブリックコメント が明日締め切りとのことです。
慌てて書きました。一行でもいいとのこと、この法律に関して思うところある方はぜひに。

 まず、このような法律が、むしろ自治体などが情報公開を理念とするようになった21世紀に作られようとしていることを知って大変驚きました。
「スパイ防止法」と呼ばれる80年代の中曽根政権で作られた頃のものを彷彿とさせる内容と受け取りました。こちらは東西冷戦という背景がありましたが、それでもものすごい大反対が起ったと聞いています。
今は、原発の対応にしてもむしろ情報を公開し,場合によっては他国に海水の汚染等「情報を提示」することすら必要と考えられる現状であるにもかかわらず、むしろ「特定秘密」の事項を(3)安全脅威活動の防止(4)テロ活動の防止とうたうことで、あたかも相互不信を日本みずからが作り上げて行くのかと感じます。「秘密」で安全を作り上げようとする姿勢は安全ではなく、むしろ真実を語る口を閉ざす、いわゆる恐怖政治につながるのではないでしょうか。このような法律を作るだけでも、「自主」的に規制しあうような空気を作りかねません。
 しかも、機密を取り扱う人間に対する「適正評価」という姿勢も実に不気味です。むしろ適正などではなく、ルールで適正化するべきではないでしょうか?そもそも、このような法律を作らなくても、情報の漏洩を罰する法律ならいくらでもあるはずです。わざわざこのような法律を作る意図は、(本来はむしろ周知されるべき)情報を「特定秘密」と国家によって名付けるための体制づくりおよび、そのような周知されるべき情報を、国家によって「収集」「整理」「活用」し、人々(people)ではなく、「国」「国民」(nation)の安全を目的としているわけです。  しかし、私たちは、国民としてのみこの世界に存在しているのでしょうか?ないし国民でなければ安全を保障されないような世界とはなにでしょうか?そしてそれこそ日本に住む外国人はどうなるのでしょうか?難民という存在をご存じないのでしょうか?
「我が国の安全保障に関する事項のうち特に秘匿することが必要であるものについ
て、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該事項の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって国及び国民の安全の確保に資する。」というこの法律の趣旨を読むだけでも、いろいろな疑問が溢れます。この法案に反対の意見を述べるとともに、さらにこのパブリックコメント募集期間を延長いただくようお願い致します。

2013年7月10日水曜日

困窮者自立支援法を廻るさまざまなこと

ある方の文章を読んで、生活保護改正案と「抱き合わせ」にもって来た「困窮者自立支援法案」と、それを廻る状況(いわゆる活動家を含む状況)についてとても考えさせられている。
困窮者自立支援法が、具体的に何を行うかといえば、
「生活困窮者自立相談支援事業
生活困窮者住居確保給付金の給付
その他の生活困窮者に対する自立の支援に関する措置」
であるという。

「「自立支援」は、生活保護費削減の切り札か?貧困の拡大を助長しかねない 「困窮者自立支援法案」を検証 」

ここで、みわよしこ氏は、 【自立相談窓口という名の、新しい水際作戦の現場】が作られる可能性を危惧している。
さらに、【「予算は国が持ちます。最大限のサポートもします」という姿勢もないのであれば、この法案が実施された後の成り行きは、「経済状況が良好でない地域では、困窮者が『相談』と、期間の十分でない住居確保給付金しか受けられない。結局は困窮し、その後、『相談』によって生活保護を利用することを実質的に拒まれ、生きていけなくなる】と指摘する。

おそらく、この自立相談支援事業は、公務員を新しく増やすという方向ではなく、NPOへの行政の委託事業が中心となるのだろう。そうなれば、結局金を得たのは行政のお眼鏡にかなった自立支援を行う事業体だけ、当事者は変化がないという話になりかねない。ないしは、そのような自立支援に関わった僅かな当事者だけが利益を得る、とか。
 また、「仕事がない」「仕事があっても対価が安すぎる」という労働状況の過酷さは、相談事業で働く人間をも襲っている。正直、相談事業に関わる人間も含めて、実は経済的に「ギリギリ」であるから、行政からの支援であってもとにかく手弁当は難しいということになる。しかしそれが、「新しい水際作戦」をより効果的に実施する条件となってしまったらどうだろう?
「安全ひきこもりライフ」を書いた勝山実氏が「自立支援」が(若年者の自立支援について彼は語っていたのだが)「自立支援支援」(自立支援団体を支援する」)になると指摘した。その背景には、その自立自立支援で働く人たちの背景だって余裕がないからだ。それはこの困窮者自立支援法についてもあてはまってしまうのではないか。

さらに湯浅誠氏は「困窮者自立支援法」を高く評価しているが、その理由として、
「私たちのような弱小NPOが手弁当でやるしかなかったが、財政的裏付けを持って自治体に義務づける法案で私はこれを推進する」

「困窮者自立支援法」が提起する相談事業で実際に働く人もまた困窮者が多いからこそ行政からのお金をより必要とし、それゆえに、「新しい水際作戦」がより強固に行われうるとしたら…と思うとなかなか恐ろしい。
とにかく生活保護法とともに、この困窮者自立支援法も廃案となったわけだけれど、選挙後にまたいくらでもこの法律がよみがえってくることを考えれば。いまいちど、活動内の「労働問題」として考え直すいうのは大事だと思う。活動内の労働問題とは、仕事がない、働けないといった「労働問題」を今一度、身の内の問題として本気で向き合うことでもあるだろうから。

2013年1月26日土曜日

◆◇◆2013年  ふぇみん大阪新年会◆◇◆



1月27日に、ふぇみん大阪の新年会でお話をさせていただきます
下記にも書いてありますが、講演のみ参加予定の方は、申し込み不要。14時半までに会場へ直接で結構とのことです。

話をさせていただくなかで「振り返る」ことをしたい、と思ってます。

私自身のやってきたこと
女性達の歴史
そのなかでできなかったこと・しそこねたこと

などなど。

最近後ろ向きなのですが、その後ろ向きぶりを「振り返る」方向にいかして、お話できないかなあとおもってます。

その「振り返り」を通して皆様とお話しできれば、とてもありがたいです。

以下
持ち寄り、転載、転送、シェア、大歓迎

◆◇◆2013年 
ふぇみん大阪新年会◆◇◆

あらゆる世代でとことんしゃべる。語る。つながる。
********新春企画******** 

変わったこと・変わらないこと
~女の「生きる」と「働く」から考える~

栗田隆子氏×社納葉子氏(コーディネーター)

********************

1月27日(日)PLP会館4階  
12:30から

大阪市北区天神橋3-9-27 PLP会館 

地下鉄堺筋線 扇町駅4番出口より徒歩3分 
JR大阪環状線 天満駅改札口より南側へ徒歩5分

参加費 
2000円(講演費込み、昼食お弁当/飲み物付き)

※講演のみ参加の方 
500円(資料代)

12:30 開場/受付
余裕を持ってお越し下さい。バザー出ます。早い者勝ち!
femin march’eも出るかも。3000号記念グッズもゲットできるかも?

13:00 
おいしい食事をしながら交流、活動報告、出し物など。わいわいがやがや。
持ち寄り、飛び入り歓迎。

14:30~15:30 栗田さんのお話
〝変わったこと・変わらないこと~女の「生きる」と「働く」から考える~〟

わたしたちの生きる現状=労働の現状は、どれだけ変容し、変化していないのか。
さまざまな資料、データーをもとに、わたしたちに押し付けられてきたもの、生きにくさ、この「貧困」から抜け出されるのか、いっしょに考えます。

15:30~16:00 栗田さん交えて質疑やおしゃべり それぞれの生きてること、働く中でしんどい気持ちやあんなことやこんなこと。。

★17:00~ 
場所を移して、新年のお酒を。夜は続く。。お店までの移動は当日ご案内します。

プロフィール

くりた りゅうこ http://kuriryuagogo.blogspot.jp/

フリーライター。かつて有限責任事業組合、現在は任意団体であるフリーターズフリーの編集。フリーターズフリー2号では責任編集担当。現在3号を準備中。女性と貧困ネットワークの呼びかけ人も。女性の労働・貧困にまつわる論説・エッセイ・講演等を行う。
以下共著:『フリーター論争2.0』、『フェミニズムは誰のもの』(人文書院)『1995年 未了の問題圏 』(大月書店)

しゃのう ようこ http://www.handworks.jp/leaf/ 

大阪の下町にて、ライター稼業でその日暮らし。長く、女性と貧困やシングルマザー等の視点、テーマで働く女性へのインタビュー、記事等多数発信、執筆。

たくさんのご参加お待ちしています。
------------------------------------------------
お申込み
〆切 1月10日(木) 

ふぇみん大阪FAX番号かe-mailまで、
お弁当注文準備の為、お申し込みお願いします。

※講演のみ参加予定の方は、申し込み不要。14時半までに会場へ直接で結構です。

●お名前:    
●人数:
●お弁当個数:
●その他:                  

不要なバザー品等ありましたら、値札を付けてぜひご寄付下さい。ふぇみん大阪運営費にカンパされます。

〈大阪支局連絡先〉

新年からの購読お申し込みもぜひこちらまで!

大阪市北区天神橋3-10-8-404 

TEL&FAX:06-6356-0778

E-mail 
osakafemin.60@diary.ocn.ne.jp

HP http://www.jca.apc.org/femin/index.html

Twitter https://twitter.com/femin1946

Fecebook https://www.facebook.com/journal.femin

【新聞代】
1カ月750円、3ヶ月2,250円6カ月4,500円、1年9,000円

3000号記念グッズも好評発売中!

ここまで
********************