2013年9月15日日曜日

天賦人権論に関する片山さつきの話を思い出してみる

ちょっと前に話題になった自民党の憲法改正案に関する片山さつきの「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
という発言について改めて考える。何というか,私たちは、ほんとうにまず天賦人権説というものの実効性ということについて考えたことがあるのだろうかという観点からだ。
 この発言を受けて、ヴェイユの「根を持つこと」やスピノザの「国家論」とかを友人と読んだりしてみて感じたことは、片山さつきのこの発言は、いわゆる権利がいわゆる個人だけが存在していたら実効性を持たないというあからさまな「現実」を、逆手に取った発言だと思うからだ。肝心なのは、天賦人権説の有無より、私たちが実効的に権利を保ち得る「集合体」とは何か?という問いを持った方がいいのではないかということだ。そこであらためて片山さつきの変なところを指摘できるかもしれないからだ。つまりそこですぐに「国を維持するには自分に何が出来るか」という「個」に立ち返らせるところこそ「変」なのではないか?と。
私たちは、むしろもっと「関係」と「複数」で考えなければならないところを「個」にさせられ、しかも「関係」と「複数」の考え方が酷く脆弱だからこそ、それこそ企業をモデルとした関係と複数性に持っていかれてしまうところにあるのではないか、とおもう。これはまだ覚え書きなんだけど、とりあえず、感じたことをぱらぱらとまとめておく。私は法律のど素人なんで、あくまでこのあたりは感覚でしかないが、それでも字にしておいた方がいいと思ったのでこのあたりで。。

秘密保全法案に対するパブリックコメント

久々に更新します。

秘密保全法に関するパブリックコメント が明日締め切りとのことです。
慌てて書きました。一行でもいいとのこと、この法律に関して思うところある方はぜひに。

 まず、このような法律が、むしろ自治体などが情報公開を理念とするようになった21世紀に作られようとしていることを知って大変驚きました。
「スパイ防止法」と呼ばれる80年代の中曽根政権で作られた頃のものを彷彿とさせる内容と受け取りました。こちらは東西冷戦という背景がありましたが、それでもものすごい大反対が起ったと聞いています。
今は、原発の対応にしてもむしろ情報を公開し,場合によっては他国に海水の汚染等「情報を提示」することすら必要と考えられる現状であるにもかかわらず、むしろ「特定秘密」の事項を(3)安全脅威活動の防止(4)テロ活動の防止とうたうことで、あたかも相互不信を日本みずからが作り上げて行くのかと感じます。「秘密」で安全を作り上げようとする姿勢は安全ではなく、むしろ真実を語る口を閉ざす、いわゆる恐怖政治につながるのではないでしょうか。このような法律を作るだけでも、「自主」的に規制しあうような空気を作りかねません。
 しかも、機密を取り扱う人間に対する「適正評価」という姿勢も実に不気味です。むしろ適正などではなく、ルールで適正化するべきではないでしょうか?そもそも、このような法律を作らなくても、情報の漏洩を罰する法律ならいくらでもあるはずです。わざわざこのような法律を作る意図は、(本来はむしろ周知されるべき)情報を「特定秘密」と国家によって名付けるための体制づくりおよび、そのような周知されるべき情報を、国家によって「収集」「整理」「活用」し、人々(people)ではなく、「国」「国民」(nation)の安全を目的としているわけです。  しかし、私たちは、国民としてのみこの世界に存在しているのでしょうか?ないし国民でなければ安全を保障されないような世界とはなにでしょうか?そしてそれこそ日本に住む外国人はどうなるのでしょうか?難民という存在をご存じないのでしょうか?
「我が国の安全保障に関する事項のうち特に秘匿することが必要であるものについ
て、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該事項の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって国及び国民の安全の確保に資する。」というこの法律の趣旨を読むだけでも、いろいろな疑問が溢れます。この法案に反対の意見を述べるとともに、さらにこのパブリックコメント募集期間を延長いただくようお願い致します。