2022年2月6日日曜日

「追悼しねーぞ祝賀会」報告



石原慎太郎氏(元都知事・元代議士)死去に伴い
「追悼しねーぞ祝賀会」を開きました。
どんな人でも死者は追悼すべきという意見もありますが、「追悼しない」という意図を表明するための「祝賀会」を友人知人と開き、そこで出た話です。
ホモソーシャル・「家族」ストーリー・ポピュリズムとこれらは石原慎太郎氏が亡くなったからといって終わった話ではなく、今なお現在進行形であることを改めて確認できました。
よろしかったらご覧ください。

(以下「祝賀会」での話)
・石原慎太郎の暴言については下記のサイトが詳しい
http://camelop.g2.xrea.com/isihara/isihara_kansi.html
→これほどの暴言に対してなおも「石原節」という言葉で受け入れられる。
・石原慎太郎はなぜこんなにも受け入れられたのか?
→まず石原裕次郎という存在を忘れてはならない。若い人はほとんど知らないからこそ、石原慎太郎が単独で人気を得られたと思いがちだが、歴史忘却の罠かもしれない。
→石原裕次郎は女性人気もあったがまずもって「男性からの人気」で支えられていたことを忘れてはいけない。
→石原裕次郎の「ホモソーシャル」かつ「体育会系」のノリを憧れて、慎太郎は真似しようとしていたのでは?
Cf: 「石原裕次郎の兄であります。都民、国民を代表して、一種の革命をやってやろうと思う」(99年3月、都知事選への出馬表明会見)
Cf2:野宿者のアパート支援事業やそのほか排除に反対する運動の中で「裕次郎が悲しむよ」というプラカードが出てきたことがある。慎太郎は嫌でも裕次郎は好き?
→左翼の高齢の男性活動家の語りの中で「昭和の芸能人の代表」という言葉で「美空ひばりと石原裕次郎」と説明
→「石原軍団」「石原ファミリー」という極めてホモソーシャルな芸能界の力(ある意味大衆的人気)という存在無くして石原慎太郎は語れない。
→さらに石原慎太郎が「父親」であることで石原伸晃などの息子たちもまた政治や芸能界に入り込んでいく。
→都の文化振興事業「トーキョーワンダーサイト」(TWS)に、石原都知事の四男で画家の延啓氏を深く関与させていたことについて、「絵描きとして交際範囲もひろく、私は便利に使っている」「余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使う」とのべ、開き直る。http://www.kensho.jcpweb.net/hunsenki/061125-223939.html

→芸能や政治という華々しい世界で展開される「家族」という物語に魅了される大衆という分析なしに慎太郎の受容を考えるのは難しい。
→女性の「家族」という売り出しはないのか(後で思いついたけど石井ふく子プロデューサー、橋田壽賀子脚本のドラマは「橋田ファミリー」と言われていたが、家父長制を克服しているかというと微妙)。
→石原プロダクションの作品で「西部警察」「太陽にほえろ」などあれほど、警察礼賛のドラマはない(今の警察ドラマの先駆け?)。
→石原プロはものすごいアクションをやっていたが、「ゴミ一つ落として帰らない」ことで話題になっていたらしい。「掃除」と「ファシズム」の関係(割烹着を着て皇居を掃除する女性団体によってバスに乗れなかった経験などが語られる)
→石原慎太郎は「都民葬」とかやるのか?
また14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には“遺言”も記していた。
「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」と鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると「心が弾む」と記していた。
 そして、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3967826/
 →実際は家族葬が行われ、のちに「お別れの会」をやる予定
 https://www.fnn.jp/articles/-/310886
 →慎太郎の骨を相模湾に流す?←「海に向かってばかやろー」とでもいう?
 →慎太郎的なものは彼個人で終わるわけではない。むしろ「大衆」に受けることで、差別的言動を繰り返すのは維新(慎太郎が晩年に所属した団体)などでも引き継がれ、さらに悪化していっている。差別発言も「石原節」で済まされているように、現在は橋下徹等にも引き継がれている?

(ここまで)