2012年8月20日月曜日

今こそチッソ労働組合の歴史を知りたい・・・『チッソ労働組合と水俣病』を読む・・・(1)


 水俣病。チッソと日本国家による犯罪的ななれ合いが引き起こした病。しかも20年近く放置され、第二の新潟水俣病まで引き起こしたというこの「公害」。
 私は東日本大震災の直後、2011年の4月に水俣を訪れた(あと長崎、広島、最後に敦賀を訪れた)。震災による東北の大被害、そして、今回の東京電力と国家の無策による原発事故。原発は危ないと知っててもなにもしてこなかった私。過去の公害や核の歴史、それにまつわる企業や国家の歴史について知ることによってしか、この現実を受け止められないと思ったからである。
 水俣の相思社を訪れ、さらに「聞書水俣民衆史」(全五巻 草風社)を読んだ。この五巻本は水俣病が起こる前の、明治からの水俣の歴史が書かれている。チッソが水俣で業を起こし、その後朝鮮半島を日本が植民地にした時代に、朝鮮に住む人びとを搾取し続けた会社であることが書かれているのだ。「植民地は天国だった」というチッソの関係者からの証言がそこで話されている。
 しかしこの五巻本はこの植民地時代までである。実は私が知りたかったのは、植民地支配の構図と水俣病を生み出す構図の具体的な共通性、であった。直感的には絶対に重なってるはず、と思いながらいかに重なっているかを具体的に知りたかったのである。
 あともうひとつ。チッソ労組は、会社に対抗する第一組合も御用的な第二組合も、ずっと水俣病のことを放置して来たが、途中から第一組合側は「恥宣言」という有名な宣言・・・つまり水俣病を放置して来たことを「恥じ」、共闘を誓う宣言を1968年の8月30日に行った。水俣病発生から15年も経っていた。放置して来た理由というのは、なんだか想像がつきそうだが(今も電力総連のように)、それにしてもなぜこのような宣言を出し得たのだろう、ということも知りたかった。

しかし、去年の秋から仕事を始め、さらには自分の体を壊しもし、水俣の本を読むことも、自分の疑問を突き進めて行くことも、中断してしまっていた。
 ところが、先日、ある友人が私に連絡をくれた。チッソ労組と水俣病の関わりが書かれている論説がある、というのだった。その論文は私の疑問にまさに答えてくれるものであった(続)。

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