2022年3月26日土曜日

「人民新聞社への裁判提訴についての見解」を読みました


 「人民新聞社への裁判提訴についての見解」

https://note.com/jinminshinbun/n/n0973f52a704c?fbclid=IwAR1frE4qc99kQml8y9ZRD0FGaGnWDNCs21AF9OdFIhdJoY9npoyHGxVeqoQ

を読みました。

私自身が連載を降りた最大の理由としては、このセクハラ・パワハラ事件を通して見えてきた人民新聞内の個人と組織の曖昧さが原因で、人民新聞に対する信頼性が揺らいでしまったところにありますが、それがこのnoteでも垣間見えます。この件について人民新聞とのやりとりをしている中で人民新聞の組織としての言葉なのか、個人の一職員の言葉なのかがすごく分かりづらいのが怖いと思ったのですが、それが垣間見える点として、noteから引用したいと思います。

「原告がメンズエステの退職を決意した要因は、①原告が従業員Aに弾圧リスクについて相談したことに始まり、②弁護士や活動仲間との話、③11/25の昼の人民新聞での話し合い、④同日夜の別の集まり、などの経緯と、さまざまな個人・団体の関与の中で生み出されたものです。それを、全て人民新聞の責任にされ、諸要求が行われています。」

という部分の

「さまざまな個人・団体の関与の中で生み出されたものです。それを、全て人民新聞の責任とされ」

という点で、何が一個人の意思で何が人民新聞の意思かが、私が以前話を伺い、やりとりした限りではかなり不透明でした。これでは私との連載で何か問題があったときに、人民新聞の問題として取るべき問題を個人化されたりしたら怖い、と考えたからです。

当然人民新聞に真摯にこのセクハラ、パワハラを起こした出来事に向き合ってほしいと思って連載を降りたわけですが、その向きあう人民新聞の主体とはなんなのだろう?と改めて思うのです。

さらに

「要求2「自己批判文の紙面掲載」=研修を受講し、内省を深めることで作り上げていくものだと考えています。また、掲載の形態や、内容に異議があれば話し合いを続けます。」

とありますが、話し合いが破綻して裁判になってる中で今後紙面作りなどどのように話し合えるのかはかなり困難なようには見えます。

私自身は裁判の訴訟金額などについてはこのnoteを見るまでは一切知りませんので、その訴訟金額について私は公に触れることは一切致しません。それこそ残念な話ですが、少なくとも今の時点では訴訟の中で係争案件として原告と被告のあいだでやり取りするしかない時点にまで来てしまったのだろうと思います。

ただ、人民新聞の組織的な主体と個人の主体をどう切り分けるのかと言う問題と、話し合いがかなり厳しいと言う問題は、このセクハラ・パワハラの事件で私から見えてきた点ではあるので、ここに改めてその問題を提起したいと思います。

そしてそもそもなぜこのようなセクハラ・パワハラの事件が起きたのか、という根本的な視点がこの人民新聞のnoteからは見えない点は私としては非常に残念であり、かつ運動団体あるあるの既視感でもあり、私としては距離を置かざるを得なかったと思う点ではあります。重ねて申し上げますが非常に残念なことです。

以上です。


0 件のコメント:

コメントを投稿