2022年9月28日水曜日

『安倍元首相「国葬」反対!9・27国会正門前大行動』でのスピーチ

2022年9月27日(火)。国会正門前で以下のスピーチをしました。15:15分過ぎ。時間にして5分少々でした。

(ここから)

みなさん、こんにちは。私は本当はねこの時間も武道館に行きたいんですよ。このお話をいただいた時も「大勢集まるならこの人数で武道館に行かないんですか?」と聞いたくらいです。国葬をやっている張本人やそれを無責任に支えている人間たちが今いるのは武道館だから。 

 私は先程まで武道館のそばまでデモで行きましたが、本当はこの人数でいければいいのにと思ってます。 でも私は今の時間、ここに話しに来ました。もちろん私は国葬反対です。でもこの場に来て話をする理由は私にとってそれだけじゃない。国葬を反対を語るとともに語らないといけない三つの理由があるのです。 

 申し遅れましたが、私は栗田隆子(くりたりゅうこ)というマイナーな物書きでカトリック教会の信徒で、そしてフェミニストです。

 まず私は宗教を信じる、信仰を持つ人間として、そしてフェミニストとしてもっともっと「政教分離」をガンガンに主張しなければならなかった。信仰は個人のもっとも「個」の部分を尊重するも斧だからこそ、国家との癒着をしてはならないともっと言わなければならなかった。そして誰かを追悼するといった宗教的 な行為を国家が強大な権力によって個々人に押し付けてはいけないと、信仰を持っているからこそもっとガンガンに主張しなければならなかった。先程小室等さんが伊丹万作の「戦争責任者の問題」について触れられていましたが、今日の国葬はまさに信教の自由から逸脱している、追悼を押し付けるな、信教の自由を守れと、一信仰者としての私の人生の中でもっともっと主張してこなければならなかったと反省しています。それが今日ここに来た一つ目の理由です。 

 山谷えり子、ここに来ている人はご存知ですよね。自民党の超タカ派の議員です。安倍元首相とともに彼女は旧統一協会と自民党を結びつけていたキーパーソンです。彼女は2000年代に日本社会の中でも推し進めてきた性教育を弾圧し、政策や自治体の中でジェンダーにおける平等を推し進めようとする試みに対しては「ひな祭りや鯉のぼも否定する」などと偏見を垂れ流し、最近ではトランスジェンダーの権利を一部トランス差別者と結託して抑圧している人物です。

 さて山谷えりこ。この人物は旧統一協会の信者ではありません。実はカトリック教会の信者なのです。彼女がカトリック教会の信者であることを恥ずかしながらつい最近知りました。どうしてカトリック信徒として私はろくに批判もせずこんな人物を野放しにしてしまったのかを反省しているとお伝えしたい。それが私がここに来た理由の二つ目です。 

カトリック信徒の政治家といえば実は、麻生太郎もそうです。しかし麻生太郎は幼児洗礼と言 って本人の意思ではなく洗礼を受けた人物で、さらにカトリックの活動はほとんどしていません。 しかし山谷えり子はカトリック教会の発進するラジオ番組などにも登場し、カトリック信徒としての活動もしています。それなのになぜ統一教会 と行動が取れるのかといえば、カトリックは第二次世界大戦で戦争協力体制を敷くなかで、「祖国に対する信者のつとめ」という指針を出して国家神道とその国家を受容してしまったのです。敗戦後今日に至っても、当時の見解を公式には撤回していないというのです。この姿勢が谷 えりこの跳梁跋扈を許してきてしまった。 私は一カトリック信徒としてこの件について責任を感じ、この見解を撤回するべきだと訴えます。 

 さて、三つ目の理由です。私は長年疑問でした。なんでカトリック教会含む宗教右派、山谷えりこ、安倍晋三など保守派や右派と呼ばれる人たちは伝統的な家族を死守しようとするのだろうって。て?も最近ようやく私はわかりました。あの人たちはリベラルや左派よりある意味ジェンダーの力、セクシュアリティの 力をわかってるんですよ。つまりやつらは人が生まれた瞬間から性別で上下があると教え込みたいんですよ。そしてその上下を当たり前だと頭で考えら得る頃より前に身体レベルで仕込んでおきたいんですよ。「おぎゃあ」といった瞬間から男は上で尊重さ れる存在、女は下で男を立てる存在とか、年上が偉くて年下が年上を尊敬する存在だ 

とか、男女のカップルしか許されないだとか、性に無知のまま子どもを作るのだとかは彼らが理想とする「家庭」の中でこそ仕込むことができると彼らはわかっているのです!それによって学校にも会社にも男性にもカトリック教会の司祭にも出産にも育児にも何一つ文句を言わない従順な奴隷を「女性」という名のもとに完成させることができる!!あるいはその従順な奴隷を監視する奴隷頭としての「男性」を完成させることができる!その奴隷と奴隷頭作成計画としての「家庭」の秩序を揺るがすとみなされたジェンダーやセクシュアリティを排斥することができる!みなさん、既存のジェンダー・セクシュアリティ規範の力を舐めないで。奴らの「家庭」政策を舐めな いで。この力によって人々は天皇を崇め続け、植民地支配や戦争に自らを駆り立てていったのです。これを語りたかった。それが今日来た三つ目の理由です。 私の話は終わりです。以上です。

(ここまで)


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