2024年8月9日金曜日

生まれ直し

 あいだで考えるシリーズはまた8月に新刊が出るとのこと、とても楽しみである。

さて、私はこのあいだで考えるシリーズに自分がかかわって(つまり執筆をしたということ)2年、刊行して3ヶ月ほど経つが、この本を出してから...いや、もっと言えば"ぼそぼそ声のフェミニズム""呻きから始まる"そして今回の"こどもとおとなのあいだ ハマれないまま、生きてます"を書いたことで、なにかようやく自分が"生まれる"あるいは"生まれ直す"ことができたような気持ちになっている。

これら3冊の本を読めば分かるかと思うが、改めて書くと私はこの社会から歓迎されてないとずっと思ってたし(個々人から歓迎されていないという感覚ではなく、不思議なことにもう社会とか世界とかこの世から歓迎されていないという感覚になっていくのだ)、またそのような社会が、世界が、この世が私も嫌いでほんとうに絶望をしていた。その絶望はフェミニズムもそうだが、私にとっては特にキリスト教を信じるという形で具現化されていたと思う。この社会というとフェミニズムもかかわってくるが、いわばこの世が嫌いです、という部分の表現を私はキリスト教を信じるというかたちであらわしていた。これはもちろんキリスト教の教義がこの世が嫌いというものなのかは議論の余地がありそうだが、少なくとも私にとってはそうだったのだ。

しかしこの3冊を書いて...なにかその絶望はありつつもその絶望からまた生まれ直した、そんな気もちになってきている。

フェミニズムと自分の関係について書き、キリスト教と自分の関係について書き、そしてキリスト教ともフェミニズムとも出会っていない、もっとも濃度濃くこの社会に歓迎されてると思えないし、自分もそんな社会を嫌っていた子どもの頃のことを書いて...ようやくなにかもう一回生まれ出たような気持ちになっている。

しかし51歳にして再度生まれ出て、このあとこの社会で何をするんだ!?何ができるんだ!?どうしたらいいんだ!?という気持ちも沸々と生まれている。でもまあ、それは社会で、この世界で、この世でやれることをやればいいのだろうと思う。


正直私の書いたどの本も爆発的に売れてるわけでもなく、マイナーであることには変わりない。だがある種の妥協や、あきらめをせずこれらの3冊を書けたことは私のなかでは燻し銀のような光を放っている。

その光を抱えて、ささやかな生まれ直しを経た人生をこれから歩んでいきたいと思う。