2026年4月9日木曜日

【2週間限定貧乏ヴィーガン生活日記③】

 


ヴィーガン生活3日目。

深沢レナさんのこのノートを読み読み、ご飯を選ぶ。

基本、一人暮らしなので自分が家にいる分には簡単なのだ。言ってしまえばあと10日間ちょい、引きこもっていれば納豆、豆腐、厚揚げ、オカラ、油揚げ、湯葉...と合わせてご飯やオートミールやパスタなどで過ごせばいい。おやつは材料に気をつけつつ、和菓子を選べばなんとかなる。

だからこそ、ヴィーガン生活は友人と外食がキモだと思う。友人がヴィーガンに理解がなければまた下手すれば友情破綻だし、外食は、ヴィーガンレストランを慎重に選ばなければいけない。ファミレスなどにはヴィーガンのチョイスはほとんどない。

あと、原材料をとにかくガン見するようになった。たとえば原材料には入ってないが、"この工場では乳製品を扱ってます"みたいな表記がある。これはどういう意味なのか?つまり工場としては扱ってるから、ヴィーガンとしては選択肢の外になるという意味なのか。あとアミノ酸と書いてあるものは大丈夫なのか。出汁はカツオ出汁が多いのでさけるが、アミノ酸とはなんなのか。とにかく原材料を見てこんなスリリングな気持ちになるということも気づきである。

あと、たった3日なのだがラーメン屋の前とかを通ると異様に美味しそうな匂いに感じる。別に腹を空かせてるつもりはないのにどういうわけか。

ヴィーガンはダイエットとは同じものではないが、私の場合"うっかり口に食べ物を入れない"という点では有効かもしれない。なんとなく口寂しくておやつやご飯を食べるというときの"なんとなく"の選択が我が家においても少ない。うちにある備蓄食料の大半は肉や乳製品を使っている。恒常的にヴィーガン生活ならば、家の中のものもヴィーガンだろうから、口寂しいときに家でなんとなくおやつを食べるということはありうるだろう。だが今の私の環境はそうではない。

今後さらに気づきはあるだろうか。まだしばらくヴィーガン生活である。

2026年4月7日火曜日

【2週間限定貧乏ヴィーガン生活日記①】

 4/5はReadin’Writin’BOOKSTOREという本屋さんで「あなたと考えたい動物たちと社会のこと」の出版記念イベントで深沢レナさん、生田武志さん、そして私の三人でトーク、同じメンバーで武田砂鉄さんの文化放送の番組"武田砂鉄のラジオマガジン"に出演した。

わたしはヴィーガンではない、肉を食べる人間の立場で参加した。完璧に動物の搾取を断てられるわけではないが、それでも動物の、とりわけ畜産動物や動物園の動物、実験動物の現状はこのままでいいわけがない。ひよこはおすだとわかった時点で圧死させられるなど、あまりに酷いんでは?とそれ以降極力平飼い卵を買うなどしてきたが、大食い食いしん坊の自分が永劫的にヴィーガンになれるとは思えなかったのだ。

しかし、深沢レナさんが"1ヶ月でもヴィーガンになって、日本でヴィーガンであることの大変さを知ってほしい"と語っていた。1ヶ月は無理。でも2週間くらいならなんとかなるかも...??と思い昨日の昼から2週間貧乏ヴィーガン生活を送ろうと決めたのだ。

さて、まず始めたのは食べ物の材料をよくみて買うということだ。日本の食材の出汁はたいてい鰹出汁とのことで、これを避ける必要があるらしい。

あと私はお金がなく、外食のヴィーガンレストランは高いものが多く(とはいえ昨日は桟橋のヴィーガン料理屋へ。。。)、貧乏人がしょっちゅう行けるところではない。

昨日は納豆、和菓、植物素材のチーズ的なものを材料を見ながら買い込んだ。野菜以外は豆腐と納豆で2週間過ごすことになるのだろうか。さてどうなることやら。

2026年3月25日水曜日

昼間に1人首相官邸の前でプラカードを持って立つ

 25日の夜はバイトのため夜は空いていない。しかし、少しでもネット以外でも意思表示したい。そこで首相官邸前に1人でプラカードを持って立とうと決めた。

本当は12時から13時の昼休み時間に行きたかったが、寝坊し断念。国会議事堂駅に着いたのは1250分だった。

外は雨。右手に傘、左手にプラカを持ちながらうろっとする。すでにかまぼこ警察車両も設置され、警察がうろうろ歩いている。通行人と同じくらい警察や警備員がいるような印象さえ受ける。歩く人の邪魔にならず、傘を持ちながらプラカを持つ場所を探し回っているうちに首相官邸の前あたりに着く。首相官邸の真ん前は警備員やら警察官ものすごい多いので、地下鉄の入り口あたりが立ちやすいのでよっこらせと傘を持ちつつプラカを掲げたら、すごいスピードで警察が近づいてきた。

 

「プラカード下げてましたよね」

はい。」

 

「なんでここで立っているんですか?首相官邸側にいましたよね」

「あそこは立ちづらいからです。こちらの方が傘をさして立っていやすいだけです。何か法的に問題はありますか?」

「いえ。ありませんが・・・プラカはなんて書いてありますか」

「戦争反対ですよ!!」

「はい・・・もしよければあちらにどうぞ」

と、なぜかより首相官邸に近い側の道路を指し示す。人も確かに多いし、立ちやすくもあるがなんなんだ?と思って移動したところ、やおら警察が無線を取り出し、話し出した。

「はい・・・プラカを持ってる人間がそちらに向かいます。水色のパーカー、青いジーンズ、黒いスニーカー」

え??ナニナニ?警察がマークするために、私の立ち位置を支持して来たわけ??

移動をしたところ、もう1人の警察(先ほどの無線の受け手と思しき人物)が私のところにやってきた。

 

「おひとり様ですか」

「はい。おひとり様ですよ」

「拡声器などは」

「何にもありません。ただ立っているだけです」

「どれくらい立ってますか」

「私が疲れるまで」

 

とやりとりした後、私の向かいでズーーーーーーーッと立って私を監視しているのだ。マンツーマンのガードなんてバスケットボールじゃあるまいし、もっと監視するべき人間はいると思うのだが、まあ仕方ない。プラカを持ってととにかく黙って立っているのが今日の目的なので、そうした。心の中ではなぜか「主の祈り」(注 聖書の中でイエスが教えたとされる祈り)が過ぎってならなかった。

途中、スーツ姿の男性2人、警察官に「衆議院の事務局はどこですか?」と聞いている。警察官もわからず、思わず「衆議院会館ではないのですか?」と聞いてしまったが、そうではないらしい。道案内としては役に立たなかったのは残念なことである。

主の祈りを何度心で唱えたかわからないが、30分弱は立っていたと思う。足もちょっと疲れてきたので撤退した。しかしたかだかプラカードを持ってきただけでこの始末である。


戦争反対に対するバッシングの背景にこういう体制もあるだろう、と思えてならなかった。

夜のデモが少しでも社会を変える声として響き渡りますように。


 

2025年12月1日月曜日

文学フリマ東京41参加しました

 ずいぶん遅くなりましたが、2025年11月23日(祝)、文学フリマ東京41@ビッグサイトに参加した感想を書きます。

実は去年の冬の文フリ東京は思い切り熱を出して不参加、そして今年の春の文フリはセブ島留学と文フリが重なってしまい、友人に売り子をお願いしてブース出店、なので1年半ぶりくらいの文フリ参加となりました。おまけに場所も国際展示場からビッグサイト・・・浜松町から羽田行きのモノレールに乗っていたのが、新橋からのゆりかもめ・・ビッグサイトというところには初めて足を運んだのですがデカくてびっくり!そして入場料1000円という規模にもびっくり!逆に私の知人などはビッグサイトなら出店しない・・・と言っていたその理由もわかる気がしなくもないとも思いました。それこそ人が多くて疲れてしまうと私も思いました。しかし一度くらいビッグサイトを経験してもいいだろうと思い参加しました。

ゆりかもめの東京ビッグサイト駅から目の前なのに、広い会場で自分のブースに行き着くまで一苦労でしたが、お隣は、ひとり出版社の人々舎の編集の方、かつてなく隣のブースとの交流ができたのも嬉しい経験でした。

12時になんとかブースを整えて一人店子をしていて気づいたこととしては、「席を空けられない・・・・!」それゆえほとんど本を買うことができず。これは準備段階でお目当ての本をきちんと見つけておかないと席を立つタイミングを失うということが1人店子の発見でした。

いつもそうですが、今回も印象的なお客さんは何人も現れ、私にとっての文フリは本を販売したいのもさることながら、人との出会にあるのかしら、と思いました。


さて、そんな中で贈呈いただいた本がほとんどになりますが、今回入手した本の感想に移ります。


西森路代著「伏線と回収の日々」

ほぼ同世代の西森さんの香港映画との出会いと東京の日々が描かれています。西森さんとは折々映画など観に行くのをご一緒したり、イベントなどでトークをお願いしたりしていますが、ちょうど私が大学〜大学院に進んでいた時代に西森さんは香港にハマり、東京への足がかかりを見出された...西森さんとは、変な言い方ですが、日本がこんなに貧しく、歪んでなかったら直接お会いしてなかったかもしれない・・・となんとなく思う時があります。仕事熱心でとことん好きな俳優や作品にのめり込み、最新の情報もチェックしている西森さん、哲学と宗教思想と文学にハマって、おおよそ流行を知らず、社会への呪詛と左翼心もかかさぬ私...そういう二人が時々会って話す関係性になるのは、なんとも不思議なものです。

さて、お次は"フェミニズム(とっくに)はじめてました"編 どこから舎

このジンが私にとって貴重なのはマザコンの夫を持つ女性とか、息子を持つ女性(ジンではこの二人はそれぞれ別の人だが、マザコンの夫を持つ女性が、息子をマザコンにしていく構造は平安時代の蜻蛉日記から連綿と語られているテーマだ)がフェミニズムと向き合う点である。

もちろんそういう本はあったけど、とうとうジンとして見るとあらためて感慨深い。


さてお次は"POLYAMORY WEEK 2025 恋人はひとり、じゃなくてもいい"

こちらはわたしがポリアモリーウィークでオンライン講演をした際の内容を収録したものである。

基本"恋人はひとりも いなくてもいい"みたいな人生を長く過ごしてきた者として、ポリアモリーなライフスタイルの人は他者である、が、"婚姻制度"というものから考えると、どちらにしてもはみ出した立場だ。とにかく個人のライフスタイルを国家によってランクづけし、男女の婚姻関係を特権化させる側面を持つ婚姻制度ってなんなの?という話をさせてもらいました!

さて今回ブースが隣同士となった人々舎の樋口聡さんの"生きることのはじまりと、わたしたちのはじまり"

劇団態変の金満里さんや写真家のインベカヲリ⭐︎さんの本を編集されていて、近年になくブースでのやり取りができ、本も買わせていただきました!ミロコマチコさん(ハマれないまま、生きてます こどもとおとなのあいだの絵を描いてくださった画家)の絵の本を出されてたり、なんとなく共通項も多く、本を出すとは何かを考えさせられました。


文フリが大きくなったからこそ、かつて関わってこなかった人も関わってくるし、いろんな思いが交錯されてると後で見聞きしました。

2009年あたりのちっさい会場の時代から参加してる身とすると...主催をコツコツ続けていく人の底力に感謝をしたくなります。私には出来ない技です。基本マイナーな左翼のフェミニストであり、(おそらく異端の)カトリックというアイデンティティを持っているので、そんな私が関わり続けるものがこんな大きくなるとは、とも驚いてますが、こんな人間も参加できるあたりもまた大きくなる秘訣なのかもしれません。

今もめちゃくちゃ売れてるわけではないですが、それでも単著など一つもなく同人誌フリーターズフリーのみが自分の作品の頃から今に至るまで、文フリに出展し続けてることで見えてくるものがあります。

私にとって、文フリはおそらく本を介して、ブースを介して、場を介して人と出会う場所なんだなと思います。今回もいろいろな人に会いました。それをただ、まずは大事にすることで、無理矢理にでもこの社会を変える糸口にさせたい。そう思ってます。






次回文フリ相変わらずぼちぼちと参加しようと思います!

2025年8月14日木曜日

大椿さんを応援するということ(中)

 728日当日、参議院会館の地下の会議室は110人で満室になる部屋なのだが、立ち見も出るような盛況ぶりだった。私は机の前にある椅子ではなく、部屋の壁に沿って置いてある椅子に座ったが、私の目の前にはラサール石井現議員が座っていた。

 

I(アイ)女性会議のオオツカさんという方のご挨拶から始まった。労働組合とi女性会議が合体して大椿さんの応援団をしていたということ、力が足りなくて申し訳ないという挨拶が続いた。私は応援団の中心をそこで初めて知った。この方達の経験や歴史を知りつつもさらに選挙に通るには違う人との関わりと必要になるのではないかとも思った。

 そこからはさまざまな人が挨拶をしていた。小池晃議員(共産党)や石川大我氏(立憲民主)、打越さくら氏(立憲民主)など他党の議員(元議員)含む人々が挨拶していことが非常に印象的だった。

 党派を超えた協力、連帯というものはこの場所で、大椿ゆうこさんを軸にして微かながらに生まれてると思った。しかしこれを票につなげるにはどうしたらいいのかと考えた。

大椿ゆうこさん支持の言葉が飛び交う中で、私の目の前にいたラサール石井氏がマイクを持った。

大椿さんが当選せず残念という中で居心地があまり良くなさそうな感じではあったが、彼から貴重な話を聞くことができた。

 ラサール氏が立候補を表明したのは選挙期間のギリギリ前くらいのタイミングだった。私が知ったのは630でその際にfacebook

えええー!ラサール石井が社民党から立候補ってマジ!?ジェンダー視点は大丈夫か!?とまず心配になった。。大椿さんを応援するスタンスを変える気はないけれども、しかし。

と書いたほどである。

その理由として、彼が舞台に出ており、その舞台期間は立候補するという話はしたくなかったためであったという。そのためごく一部の人しか知らない極秘事項だったため、大椿さんもおそらく前々から知っていたはなしではなかったろうと、大椿さんに申し訳なさそうではあった。

大椿さんは、ラサール氏に思うところはあったかもしれない。だけど私のように不安に感じる投票者に対しても、誰に対しても国会でやりたいことがたくさんある。議員としての仕事をしたいとこの日も語り続けてた。その気持ちいい態度もまた大椿さんへの好ましさが上がった理由でもあった。

そして大椿ゆうこさんがもう一つ何回も口にしていたのは社民党に入って欲しいということばである。

党に入るとは。

党とはなんなのか。

それを次に考えたい。


2025年8月8日金曜日

大椿さんを応援するということ(前半)

 

 大椿ゆうこさんの話を聞く会の感想、報告が遅くなり申し訳ない。

 

その前に。

大椿さんとの出会いについて話したい。

というのも、私もいい年になりますよう、過去のことを話すことのできる立場となったと思うからだ。いまの20-30代が知らない時代を伝えることも一つの運動だとも思い、語りうることは語るなかで、大椿さんと私との関わりもすでに、若い世代にとっては知らない過去の時代の出来事と大きく関わっていると思う。

…当時は「大椿裕子」さんとして知っていたのだが…大椿ゆうこさんの名前を知ったのは2010年ごろだと思う。

彼女が関西学院大学の学生のコーディネーターを「雇い止め」されたことに対して雇い止め撤回を求めて大学側とたたかうというニュースを聞いたのだ。

当時は「フリーター」という言葉から若年層の貧困、あるいはロスジェネ、氷河期世代という言葉が出始め、リーマンショックが起き、「派遣村」が生まれた。

そうそう、この「派遣村」について知らない人がもはや多いと思うので説明したい。

2008年リーマンショックの煽りを受けて解雇〔雇い止め含む〕が日本でも増大した。さらには製造業派遣労働者の相当数が企業の寮に住んでいたため、仕事を失ったことにより住居も失った人々がいた。

そのため2008年から09年の年末年始にかけて当時NPO法人もやいの事務局長であった湯浅誠氏を派遣村の“村長“としてさまざまなNPOや労組が結集して日比谷公園で相談ブースを開いたり、寝る場所の提供をした。

その後当時の厚生労働大臣である菅直人氏が厚労省の講堂を開放し、相談ブースや寝床を提供した。派遣村とはその一連の流れを表すものといっていい。

さて、そのような若年層(当時大椿さんも私もまだ30代だったのだ)の労働・貧困問題がさわがれる中で、大椿ゆうこさんの話を聞いたのである。

 派遣労働者もそうだが、契約で「2年」と書かれていれば大概がその年数で容赦なく切られる。私含む多くの人はその契約に納得できなくとも多くの人は従っていたのだ。だが、大椿さんは「仕事は存在しているのに、人を切るのはおかしい」と訴えていた。本来ならば実に当たり前のことをいっているのに、それを企業に伝えるのは勇気のいる行為となってしまっていた。

声を上げる、は社会運動の基礎の基礎だと思う。それをできるのが大椿さんなのだというのがその話を聞いた時の感想だ。

 関西学院大学とのたたかいの報告会に私は呼ばれて、彼女のたたかいについてはなしをきいた。彼女はこのたたかいで雇い止め撤回を勝ち取ることはできず、和解もしなかった。その時に彼女は自分は関西学院大学の雇い止めについてどこでも詳細を語りうる立場なのだ”(大意)と語っていた記憶がある。いわゆる和解条項などで縛られる立場ではないこと、自分の時は負けても次に勝つのが労働運動という言葉もその時に聞いた記憶がある

その後彼女は教育労組の専従として働いた。私はその頃ある女性労働に関するNO団体の運営委員、あるいは代表になっていた。大椿さんは働いている人を使い捨てるような企業や社会とたたかっていた。他方で私は働けない人、企業社会についていけない人を軸にものを考え、動いていた。とはいえ我々のこの取り組みを真逆とは言い難いと思った。なぜなら使い捨てられることでメンタルを病んで働けない人を知ってるし、あるいはメンタルを病んで働けないとみなされていても、働きたい気持ちが全くないとも限らない。

そしてある種の経営者の側から見れば、どちらも結局は切り捨ててる存在でありどうでもいいあるいは邪魔な存在なのである。

 そして私の方は大椿さんの活動をずっと注目してきた。とはいえ、なにせ働けないがアイデンティティのようなところがある。そもそも選挙運動の、あの、ワーッ!!と高まる感じに体力気力ともども追いつかないところがある。応援演説などは頼まれたらもちろん心から行うが、それでも体力気力乏しい私のようなものが応援してよろしいでしょうかみたいな気持ちを抱きつつ折々応援してきたという調子であったのである。

 

しかし、それでよかったのか。

それが今回の大椿さんの選挙結果を受けてのわたしの思いなのである(続く)


2024年8月9日金曜日

生まれ直し

 あいだで考えるシリーズはまた8月に新刊が出るとのこと、とても楽しみである。

さて、私はこのあいだで考えるシリーズに自分がかかわって(つまり執筆をしたということ)2年、刊行して3ヶ月ほど経つが、この本を出してから...いや、もっと言えば"ぼそぼそ声のフェミニズム""呻きから始まる"そして今回の"こどもとおとなのあいだ ハマれないまま、生きてます"を書いたことで、なにかようやく自分が"生まれる"あるいは"生まれ直す"ことができたような気持ちになっている。

これら3冊の本を読めば分かるかと思うが、改めて書くと私はこの社会から歓迎されてないとずっと思ってたし(個々人から歓迎されていないという感覚ではなく、不思議なことにもう社会とか世界とかこの世から歓迎されていないという感覚になっていくのだ)、またそのような社会が、世界が、この世が私も嫌いでほんとうに絶望をしていた。その絶望はフェミニズムもそうだが、私にとっては特にキリスト教を信じるという形で具現化されていたと思う。この社会というとフェミニズムもかかわってくるが、いわばこの世が嫌いです、という部分の表現を私はキリスト教を信じるというかたちであらわしていた。これはもちろんキリスト教の教義がこの世が嫌いというものなのかは議論の余地がありそうだが、少なくとも私にとってはそうだったのだ。

しかしこの3冊を書いて...なにかその絶望はありつつもその絶望からまた生まれ直した、そんな気もちになってきている。

フェミニズムと自分の関係について書き、キリスト教と自分の関係について書き、そしてキリスト教ともフェミニズムとも出会っていない、もっとも濃度濃くこの社会に歓迎されてると思えないし、自分もそんな社会を嫌っていた子どもの頃のことを書いて...ようやくなにかもう一回生まれ出たような気持ちになっている。

しかし51歳にして再度生まれ出て、このあとこの社会で何をするんだ!?何ができるんだ!?どうしたらいいんだ!?という気持ちも沸々と生まれている。でもまあ、それは社会で、この世界で、この世でやれることをやればいいのだろうと思う。


正直私の書いたどの本も爆発的に売れてるわけでもなく、マイナーであることには変わりない。だがある種の妥協や、あきらめをせずこれらの3冊を書けたことは私のなかでは燻し銀のような光を放っている。

その光を抱えて、ささやかな生まれ直しを経た人生をこれから歩んでいきたいと思う。