2026年7月25日土曜日

ハラスメント加害者の"新刊"発行に対して考えること

 渡部直己著 『中上健次論小説という出来事』が発行されるということを知人が教えてくれた。私は全く知らなかった。

「渡部直己」という名前を見ると、私は早稲田大学のセクハラ事件のことを思い出さずにはおれない。渡部氏は、自分のゼミの学生にセクシュアルハラスメント、パワーハラスメントを行った人物だ。

原告である深沢レナさんは、その行為によって心身に打撃を受けたのみならず、早稲田大学での学習権を奪われた。彼女は現在にも続くそのような心身の不調の中であっても、動物の尊厳のための活動を続けている。しかしもし...このような仮定を考えることそのものが私の立場では不遜かもしれないが...渡部氏からハラスメントを受けてなければ、少なくともハラスメントによる深沢さんの心身の不調はなかったはずである。

 渡部氏については裁判が済んだのだから、制裁は済んだと考える人もいるかもしれない。確かに現在日本の法律システムではそうなのかもしれない。しかし、ハラスメントの贖罪とはそもそも裁判のみで済むものなのだろうか。被害を受けた側が現在も不調を抱える中で、彼の本を出すということは何を意味しているのか。加害側に力が偏った非対称な状態を露呈している、そしてそれを多くの人が許してしまっている、と私には思えてならない。

ハラスメントという行為に対して"応答"することは裁判だけがなしうるものではない。そもそもこの渡部直己氏のハラスメントのみに絞っても、早稲田大学の組織責任等は裁判では不問にされている。少なくとも、裁判だけでハラスメントの問題は"済んだもの"と考えてはならないのではないか。

それではハラスメントをしたこと、ハラスメントをゆるしてきたことに対する責任とは何なのか、ハラスメントで苦しむ人が多くいる今こそ腰を据えて考えるべきだ。それはむしろ当事者以外ができることでもあるかもしれない。

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