2013年9月15日日曜日

天賦人権論に関する片山さつきの話を思い出してみる

ちょっと前に話題になった自民党の憲法改正案に関する片山さつきの「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」
という発言について改めて考える。何というか,私たちは、ほんとうにまず天賦人権説というものの実効性ということについて考えたことがあるのだろうかという観点からだ。
 この発言を受けて、ヴェイユの「根を持つこと」やスピノザの「国家論」とかを友人と読んだりしてみて感じたことは、片山さつきのこの発言は、いわゆる権利がいわゆる個人だけが存在していたら実効性を持たないというあからさまな「現実」を、逆手に取った発言だと思うからだ。肝心なのは、天賦人権説の有無より、私たちが実効的に権利を保ち得る「集合体」とは何か?という問いを持った方がいいのではないかということだ。そこであらためて片山さつきの変なところを指摘できるかもしれないからだ。つまりそこですぐに「国を維持するには自分に何が出来るか」という「個」に立ち返らせるところこそ「変」なのではないか?と。
私たちは、むしろもっと「関係」と「複数」で考えなければならないところを「個」にさせられ、しかも「関係」と「複数」の考え方が酷く脆弱だからこそ、それこそ企業をモデルとした関係と複数性に持っていかれてしまうところにあるのではないか、とおもう。これはまだ覚え書きなんだけど、とりあえず、感じたことをぱらぱらとまとめておく。私は法律のど素人なんで、あくまでこのあたりは感覚でしかないが、それでも字にしておいた方がいいと思ったのでこのあたりで。。

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