2025年8月14日木曜日

大椿さんを応援するということ(中)

 728日当日、参議院会館の地下の会議室は110人で満室になる部屋なのだが、立ち見も出るような盛況ぶりだった。私は机の前にある椅子ではなく、部屋の壁に沿って置いてある椅子に座ったが、私の目の前にはラサール石井現議員が座っていた。

 

I(アイ)女性会議のオオツカさんという方のご挨拶から始まった。労働組合とi女性会議が合体して大椿さんの応援団をしていたということ、力が足りなくて申し訳ないという挨拶が続いた。私は応援団の中心をそこで初めて知った。この方達の経験や歴史を知りつつもさらに選挙に通るには違う人との関わりと必要になるのではないかとも思った。

 そこからはさまざまな人が挨拶をしていた。小池晃議員(共産党)や石川大我氏(立憲民主)、打越さくら氏(立憲民主)など他党の議員(元議員)含む人々が挨拶していことが非常に印象的だった。

 党派を超えた協力、連帯というものはこの場所で、大椿ゆうこさんを軸にして微かながらに生まれてると思った。しかしこれを票につなげるにはどうしたらいいのかと考えた。

大椿ゆうこさん支持の言葉が飛び交う中で、私の目の前にいたラサール石井氏がマイクを持った。

大椿さんが当選せず残念という中で居心地があまり良くなさそうな感じではあったが、彼から貴重な話を聞くことができた。

 ラサール氏が立候補を表明したのは選挙期間のギリギリ前くらいのタイミングだった。私が知ったのは630でその際にfacebook

えええー!ラサール石井が社民党から立候補ってマジ!?ジェンダー視点は大丈夫か!?とまず心配になった。。大椿さんを応援するスタンスを変える気はないけれども、しかし。

と書いたほどである。

その理由として、彼が舞台に出ており、その舞台期間は立候補するという話はしたくなかったためであったという。そのためごく一部の人しか知らない極秘事項だったため、大椿さんもおそらく前々から知っていたはなしではなかったろうと、大椿さんに申し訳なさそうではあった。

大椿さんは、ラサール氏に思うところはあったかもしれない。だけど私のように不安に感じる投票者に対しても、誰に対しても国会でやりたいことがたくさんある。議員としての仕事をしたいとこの日も語り続けてた。その気持ちいい態度もまた大椿さんへの好ましさが上がった理由でもあった。

そして大椿ゆうこさんがもう一つ何回も口にしていたのは社民党に入って欲しいということばである。

党に入るとは。

党とはなんなのか。

それを次に考えたい。


2025年8月8日金曜日

大椿さんを応援するということ(前半)

 

 大椿ゆうこさんの話を聞く会の感想、報告が遅くなり申し訳ない。

 

その前に。

大椿さんとの出会いについて話したい。

というのも、私もいい年になりますよう、過去のことを話すことのできる立場となったと思うからだ。いまの20-30代が知らない時代を伝えることも一つの運動だとも思い、語りうることは語るなかで、大椿さんと私との関わりもすでに、若い世代にとっては知らない過去の時代の出来事と大きく関わっていると思う。

…当時は「大椿裕子」さんとして知っていたのだが…大椿ゆうこさんの名前を知ったのは2010年ごろだと思う。

彼女が関西学院大学の学生のコーディネーターを「雇い止め」されたことに対して雇い止め撤回を求めて大学側とたたかうというニュースを聞いたのだ。

当時は「フリーター」という言葉から若年層の貧困、あるいはロスジェネ、氷河期世代という言葉が出始め、リーマンショックが起き、「派遣村」が生まれた。

そうそう、この「派遣村」について知らない人がもはや多いと思うので説明したい。

2008年リーマンショックの煽りを受けて解雇〔雇い止め含む〕が日本でも増大した。さらには製造業派遣労働者の相当数が企業の寮に住んでいたため、仕事を失ったことにより住居も失った人々がいた。

そのため2008年から09年の年末年始にかけて当時NPO法人もやいの事務局長であった湯浅誠氏を派遣村の“村長“としてさまざまなNPOや労組が結集して日比谷公園で相談ブースを開いたり、寝る場所の提供をした。

その後当時の厚生労働大臣である菅直人氏が厚労省の講堂を開放し、相談ブースや寝床を提供した。派遣村とはその一連の流れを表すものといっていい。

さて、そのような若年層(当時大椿さんも私もまだ30代だったのだ)の労働・貧困問題がさわがれる中で、大椿ゆうこさんの話を聞いたのである。

 派遣労働者もそうだが、契約で「2年」と書かれていれば大概がその年数で容赦なく切られる。私含む多くの人はその契約に納得できなくとも多くの人は従っていたのだ。だが、大椿さんは「仕事は存在しているのに、人を切るのはおかしい」と訴えていた。本来ならば実に当たり前のことをいっているのに、それを企業に伝えるのは勇気のいる行為となってしまっていた。

声を上げる、は社会運動の基礎の基礎だと思う。それをできるのが大椿さんなのだというのがその話を聞いた時の感想だ。

 関西学院大学とのたたかいの報告会に私は呼ばれて、彼女のたたかいについてはなしをきいた。彼女はこのたたかいで雇い止め撤回を勝ち取ることはできず、和解もしなかった。その時に彼女は自分は関西学院大学の雇い止めについてどこでも詳細を語りうる立場なのだ”(大意)と語っていた記憶がある。いわゆる和解条項などで縛られる立場ではないこと、自分の時は負けても次に勝つのが労働運動という言葉もその時に聞いた記憶がある

その後彼女は教育労組の専従として働いた。私はその頃ある女性労働に関するNO団体の運営委員、あるいは代表になっていた。大椿さんは働いている人を使い捨てるような企業や社会とたたかっていた。他方で私は働けない人、企業社会についていけない人を軸にものを考え、動いていた。とはいえ我々のこの取り組みを真逆とは言い難いと思った。なぜなら使い捨てられることでメンタルを病んで働けない人を知ってるし、あるいはメンタルを病んで働けないとみなされていても、働きたい気持ちが全くないとも限らない。

そしてある種の経営者の側から見れば、どちらも結局は切り捨ててる存在でありどうでもいいあるいは邪魔な存在なのである。

 そして私の方は大椿さんの活動をずっと注目してきた。とはいえ、なにせ働けないがアイデンティティのようなところがある。そもそも選挙運動の、あの、ワーッ!!と高まる感じに体力気力ともども追いつかないところがある。応援演説などは頼まれたらもちろん心から行うが、それでも体力気力乏しい私のようなものが応援してよろしいでしょうかみたいな気持ちを抱きつつ折々応援してきたという調子であったのである。

 

しかし、それでよかったのか。

それが今回の大椿さんの選挙結果を受けてのわたしの思いなのである(続く)


2024年8月9日金曜日

生まれ直し

 あいだで考えるシリーズはまた8月に新刊が出るとのこと、とても楽しみである。

さて、私はこのあいだで考えるシリーズに自分がかかわって(つまり執筆をしたということ)2年、刊行して3ヶ月ほど経つが、この本を出してから...いや、もっと言えば"ぼそぼそ声のフェミニズム""呻きから始まる"そして今回の"こどもとおとなのあいだ ハマれないまま、生きてます"を書いたことで、なにかようやく自分が"生まれる"あるいは"生まれ直す"ことができたような気持ちになっている。

これら3冊の本を読めば分かるかと思うが、改めて書くと私はこの社会から歓迎されてないとずっと思ってたし(個々人から歓迎されていないという感覚ではなく、不思議なことにもう社会とか世界とかこの世から歓迎されていないという感覚になっていくのだ)、またそのような社会が、世界が、この世が私も嫌いでほんとうに絶望をしていた。その絶望はフェミニズムもそうだが、私にとっては特にキリスト教を信じるという形で具現化されていたと思う。この社会というとフェミニズムもかかわってくるが、いわばこの世が嫌いです、という部分の表現を私はキリスト教を信じるというかたちであらわしていた。これはもちろんキリスト教の教義がこの世が嫌いというものなのかは議論の余地がありそうだが、少なくとも私にとってはそうだったのだ。

しかしこの3冊を書いて...なにかその絶望はありつつもその絶望からまた生まれ直した、そんな気もちになってきている。

フェミニズムと自分の関係について書き、キリスト教と自分の関係について書き、そしてキリスト教ともフェミニズムとも出会っていない、もっとも濃度濃くこの社会に歓迎されてると思えないし、自分もそんな社会を嫌っていた子どもの頃のことを書いて...ようやくなにかもう一回生まれ出たような気持ちになっている。

しかし51歳にして再度生まれ出て、このあとこの社会で何をするんだ!?何ができるんだ!?どうしたらいいんだ!?という気持ちも沸々と生まれている。でもまあ、それは社会で、この世界で、この世でやれることをやればいいのだろうと思う。


正直私の書いたどの本も爆発的に売れてるわけでもなく、マイナーであることには変わりない。だがある種の妥協や、あきらめをせずこれらの3冊を書けたことは私のなかでは燻し銀のような光を放っている。

その光を抱えて、ささやかな生まれ直しを経た人生をこれから歩んでいきたいと思う。




2024年4月29日月曜日

岸田に"野次"を飛ばしたささやかな報告

 4・27(土)、代々木公園で行われた連合主催のメーデーにフリーランスユニオンのブースを出し、土屋共同代表作成のチョコレートやそのほかフリーランスユニオンのグッズ販売のために参加した。

しかしこの当日、岸田首相(以下岸田表記)が連合メーデーに来賓として挨拶するということを聞いた。

実は昨年も岸田が来るということを聞いた。しかし昨年はブース前でバンド演奏をするということや、また初めての参加で慣れていないということもあり挨拶の会場近くに行くこともままならなかった。

しかし今年も岸田が来ると聞いて、これは絶対野次らねば、と思った。

野次というと、札幌や各地で安倍晋三の街頭演説に対して「野次」をした際に警察から排除されたという事件を思い出す。その後札幌ではその警察の振る舞いに対して裁判を排除された側が訴訟を行い勝訴したという件がある。

こんな社会状況になっている中、直接行動だけが全てを解決しないとしても。直接行動なしで物事は動かないと思う。岸田にものを一言でもいいたい。ノイズでありたい。

 ちなみに今回、このヤジを飛ばしたのは私個人の行動であり、フリーランスユニオンとしてではないことも一応お伝えしておくべきだろう。

おそらく岸田は挨拶が終わったらすぐにメーデー会場を後にするだろう。ノイズを、叫びを聴かせるには挨拶の瞬間しかない。そして挨拶をする場所の中央広場の入り口ではいわゆる持ち物検査や、ボディチェックなどが行われていて、早く行かないと間に合わない。しかも中央広場は、どの労組がどこに並ぶかまでしっかり場所が指定されている。そもそも私のような人間が一人で入るような想定なんかなされていない雰囲気だ。

直接行動というのは、感情的に始めるものと思われたりしてそうだが、直接行動こそ本当はものすごくシュミレーションや計算を必要とするものである。だけど私は当日に岸田が来るのを知ったので、ほとんど準備もできていない。そもそも遅れ気味に代々木公園に到着したので間に合わなかったらどうしようととても焦った。それでもどうにか広場に入りなるべく近くに寄れるところまで近づくことにした。

連合代表の芳野智子(敬称略)にも野次を飛ばしたいところだったが、万が一排除されて岸田にヤジを言えなくなったらそれも悔しい(岸田の方が芳野代表よりあとの挨拶だったのだ)ので、芳野智子代表に関してはブーイングサインのみを行なった。それにしてもさまざまの組合旗が並んでいるのだから、少しはブーイングの声がしてもいいだろうにと思ったのだが、まるで私のいる場所では聞こえない。「平和を望む(大意)」という挨拶をしながら、確実に戦争をする国にしていこうとする岸田を呼ぶなんてどういうことかと悔しくて仕方がなかった。さまざまな組合の旗が並んでいても、これでは日の丸はためく大政翼賛会とどこが違うのかとさえ思った。

さて、岸田がいよいよ挨拶を始めた。

「戦争ができる国家にするな!」

これをとりあえず何度も叫ぶことにした。かっこいいラップもシュプレヒコールもできない。

でもノイズが届けと思い叫んだ。

一部分だけ、私の野次シーンをご紹介したい。私の後で叫んでくれるは誰もいなかったことも含めてのご紹介ともなるだろう。というか私が叫んだ後にむしろ「邪魔だ」と言ってくる人もいた。

最後に。

下記の記事では「帰れ!」と叫んだとあるが、一体これは誰の野次だったのだろう。私の場所からは実は「帰れ!」という声は残念ながら聞こえなかった。あるいは私の叫びが「帰れ!」と聞こえたのだろうか。私は「帰れ!」とは言ってなくて「戦争ができる国家にするな」以外は「非正規労働をどうにかしろ」とか「フルタイムパートならそんなのやめて正規で雇え」とか「共同親権反対!」とかだったのだが・・・。もし私以外に誰も野次ってなかったように感じたが、あの会場で野次った人がいたならお話ししたかったなあ、と思う。




メーデー中央大会で岸田首相に「帰れ」とやじ 連合・芳野会長「非常に申し訳ない」

2023年9月11日月曜日

雨宮処凛さん著作『非正規・単身・アラフォー女性「失われた世代」の絶望と希望』中国語に訳されました

 雨宮処凛さんが2018年に著した『非正規・単身・アラフォー女性「失われた世代」の絶望と希望』(光文社新書)がこのたび中国語に訳され発行され、雨宮さんから送っていただきました。ありがとうございます。私はこの本の中で雨宮さんの対談相手として登場します。


日本語の方は光文社新書なので表紙は薄いブルーのお馴染みの表紙な訳ですが、中国の本は背中を見せた女性の姿です。


以下雨宮さん宛に送ったお礼のメールの一部です


「・・・雨宮さんや他のインタビューされた方々同様、私の発言も中国語になっているのにも改めて感動しました。


映画監督で山形千恵子さんという方がおられるのですが、彼女の作品"たたかいつづける女たち〜均等法前夜から明日へバトンをつなぐ"というドキュメンタリー映画に私も出演し、その後その映画が英語でも訳された際に山上監督から「栗田の発言は英語に翻訳するのに翻訳家が苦労した」とおっしゃっていたので、私の発言が中国語に訳した際は苦労されたか気になります...。」


この本もまた中国の社会で何かを投じるものとなりますように。


というわけで本の一部をご紹介。

 



2023年2月14日火曜日

「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」のパブリックコメント記入に当たって

 「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」(以下困難女性支援法と省略)は現在2月18日までパブリックコメントを募集している。この募集において2種類のパブリックコメントが募集されており、(1)「困難な問題を関する基本的な方針(案)に関するご意見の募集について」と(2)「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律の施行に伴う関係法令(案)に関するご意見の募集について」という二つだ。今回は主に(1)の方の言及が多くなると思うが、ぜひ(2)のパブコメも多く提出してこの法律が良い法律になっていってほしいと思う。
今年の1月31日、「困難女性支援法のより良い運用を願うつどい」に参加したことをまとめながら、自分がパブリックコメントを作るためのまとめを書きたい。そのことでパブリックコメントを書きたい人の参考になればと考えている。今まで行われてきた「困難女性支援法」にまつわる検討会有識者会議で想定されている層(これについては後述する)のみではないことがこの集いの中で示された。高齢者シングル女性、レズビアンやトランス女性といったセクシュアルマイノリティ、セックスワーカー(と自らをアイデンティファイする人)、アルコールや薬物の依存を抱える女性、アイヌ等の先住民族、障害者、・・・といった女性でありかつこの社会においてマイナーな属性とされる立場に立つ女性たちもまさに「困難な問題を抱える女性」であるはずだが、その立場の人たちに対する「支援」をどう考えるのかは、「困難女性支援法」における主要なテーマのはずと私は考える。またこの「集い」には参加してはいないが、外国人女性やホームレス女性などの存在も困難女性として当然考える必要があると考える。

さて、「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」(以下困難女性支援法と省略)は令和4年(2022年)に成立。令和6年(2024年)4月1日の適用を目指しており、「困難な問題を抱える女性への支援のための施策に関する基本的な方針(案)」(以下基本的な方針(案)と略する)が既にまとめられている。

 まず困難女性支援法の改正前は「売春防止法」(「旧売春防止法」と呼ぶ)で、この法律の目的は「性行又は環境に照して売春を行う恐れのある女子」と定義される「『要保護女子』の『保護更生』を目的」とするもので、「困難な問題に直面している女性の人権の擁護・福祉の増進や自立支援の視点には不十分なものであった。」とある。

 つまり売春(あくまで「売る」側)という「犯罪」を犯した、あるいは犯罪を犯す恐れのある立場に転落した「女性」を「保護」「更生」するのが「旧売春防止法」で、しばしばこの「旧売春防止法」は<上から目線><当事者の視点がない>と困難女性支援法の検討会や有識者会議の中でもしばしば批判されてきた。その後法律の運用としては「昭和45年度夫人保護事業費の国庫負担及び補助について」において「『婦人相談所又は婦人相談員がその受け付け時点において転落のおそれなしと認めた婦女子については、当該婦女子が正常な生活を営むのに障害となる問題を有しており、かつ、その障害となる問題を解決すべき機関が他にないと認められる場合に限り、転落未然防止の(下線は引用者)見地から当該障害となる問題が解決されるまでの間、婦人保護事業の対象者として取り扱って差し支えない』旨が示され、婦人保護事業の対象が『売春を行うおそれのある女子』以外にも拡大された」とある。興味深いのは『売春を行うおそれのある女子』以外にも拡大され、実質困難を抱える女性にその法律の適用が拡大されたのにもかかわらず、売春防止法というネーミングや法律の精神が変わらなかったのは、売春をすることを「転落」と表現することに躊躇がないその価値観においてであろうと私は考える。そしてその精神のまま21世紀にまで至った。

  又興味深いのは、平成13年(2001年)に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」(以下「配偶者暴力防止法」いわゆるDV防止法)が婦人保護事業の根拠法の一つとなったということ、逆に言えば売春防止法に紐づいた形で「配偶者暴力防止法」が成立していることだ。また「日本に入国した外国人女性が監禁されたり、『売春』を強要されたりといった(人身取引の被害報告が増加したことを背景に、平成16年(2004年)に「人身取引対策行動計画」(人身取引対策に関する関係省庁連絡会議決定)が策定された。このような人身取引被害者の保護も婦人相談所が留置すべき事項となった。

 また「ストーカー行為等の規制等に関する法律」第9条で被害者に対する支援が明確に打ち立てられており、婦人保護施設での支援が通知されてもいる。

 このような状況を厚労省は「女性たちが直面している問題も多様化」し「婦人保護事業の対象者も拡大」したとみなしているが、「旧売春防止法における婦人保護に関する規定が抜本的に見直されることはなかった」。その後「女性活躍加速のための重点方針2018(平成30年6月12日すべての女性が輝く社会づくり本部決定)においては「『婦人相談所における支援について実施した実施把握の結果等を踏まえ、課題の整理を行い、社会の変化に見合った婦人保護事業の見直しについて有識者等による検討の場を設ける。その議論を踏まえつつ必要な見直しについて検討する』旨が決定された」とある。

 ここまでで注目すべきは、DV防止法や、外国人の「売春」含む人身取引、ストーカーといった問題を通して女性たちが直面している問題が多様化していると行政は考えてきた。しかしこれらはすべて「性」を軸とした関係性の中での困難である。もちろんそれらを軽視しろという話ではない。だが女性の経済的脆弱性、労働環境、年金制度、税制度といった問題がこの「多様化」の中に全く入っていないことに留意しつつ、「基本的な方針(案)」に記載されている「困難女性支援法における施策の対応者及び基本理念」を読んでみたい。

 法第2条は「法に基づく支援等の対象となる困難な問題を抱える女性について、『性的な被害、家庭の状況、地域社会との家計性その他の様々な事情により日常生活又は社会生活を円滑に営む上で困難な問題を抱える女性(そのおそれのある女性を含む)』と規定している。この部分で「女性が、女性であることにより、性暴力や性的虐待、性的搾取等の性的な被害に、より遭遇しやすい状況にあることや、よきせぬ妊娠等の女性特有の問題が存在することの他、不安定な就労状況や経済的困窮、孤立などの社会的経済的困難等に陥るおそれがあること等を前提としたものであり、このような問題意識のもと、法が定義する状況に当てはまる女性であれば年齢、障害の有無、国籍等を問わず、性的搾取により従前から婦人保護事業の対象となってきた者を含め、必要に応じて方による支援の対象となる」とある。基本的な方針(案)p.9では「女性特有の問題が存在することの他、不安定な就労状況や経済的困窮、孤立などの社会的経済的困難等に陥るおそれがあること等を前提としたものであり、このような問題意識のもと」という記載がある。そうであれば、女性の経済的脆弱性、労働環境、年金制度、税制度といった問題もこの「問題意識」の中に入ってきてもおかしくない。しかしこの後、以下の部分が続く。

 「特に、女性の尊厳を傷つけ、女性の人権を軽視する者である性暴力や性的虐待、性的搾取等の性的な被害を受けたものに対する支援は重要であり、被害による心的外傷から回復し、安定的な生活を営めるようになるための中長期的な被害を受けた者に対する支援は重要であり、被害による心的外傷から回復し、安定的な生活を営めるようになるための中長期的な支援を行うことは重要である」

 ・・・先ほど「DV防止法や、外国人の「売春」含む人身取引、ストーカーといった問題を通して女性たちが直面している問題が多様化していると行政は考えてきた。しかしこれらはすべて「性」を軸とした関係性の中での困難であると書いた。もちろんそれらを軽視しろという話ではない。だが女性の経済的脆弱性、労働環境、年金制度、税制度といった問題がこの「多様化」の中に全く入っていないことに留意」したいとも書いた。そしてせっかくこの「基本的な方針(案)」では「不安定な就労状況や経済的困窮、孤立などの社会的経済的困難等に陥るおそれがあること等を前提としたもの」という文言があるのに、「特に、女性の尊厳を傷つけ、女性の人権を軽視する者である性暴力や性的虐待、性的搾取等の性的な被害を受けたものに対する支援は重要」と書くことでやはり<「性」を軸とした関係性の中での困難>に優先度があるように私には読める。

 私は有識者会議を傍聴している中で「性的搾取」という言葉がしばしば登場した。しかしこの性的搾取とは何か、もっと言えば「困難女性」とは何かといった根本的な議論が有識者会議の中で出されることを期待した。しかしほぼそのような定義に関する議論はなされてこなかったといっていい。2月14日現在第三回までの有識者会議の議事録が公開されているが、強いて言えば、第三回会議の「支援対象となる女性でございますが」と「追及リスクの有無」という支援のテクニカルな話ののち 「年齢についてですが、今回の基本方針では全ての女性を対象として支援の方向性を 示すべきものと考えておりますが、論点の中には若年女性等の記述が随所に見られ、視点に 偏りが感じられます。若年女性の支援が必要であるということは当然ですが、偏りなく全て の年代の女性が支援の対象となるということが、明確に伝わるような基本方針としていた だきたいと思います」(p.18)とある程度だ。第三回では立教大学コミュニティ福祉学部教授の湯澤直美氏が「はじめに、法律の対象規定についてです。「性的な被害、家庭の状況、地域社会との関係 性その他様々な事情により」と規定することによって、困難な状況を幅広くすくい上げよう としている点は理解ができます。そのうえであえて一点申しますと、家庭や地域に包摂され ない状況に置かれている 40 代、50 代、60 代以上のシングル女性が取りこぼされてしまわ ないかという点について少しお話をしたい」(p.2)とあったが、その後有識者会議を傍聴していた身としては、この論点が展開されていったとは私には思えない。第二回の有識者会議で赤池構成員が「今回の基本方針に関する資料を拝見し、略称が「困難女性支援法」となっておりますが、 対象女性がこの略称に基づいた支援を我がことと思い、その支援を受けたいかと考えた時に略称を(下線引用者)「女性支援法」とした方が良いのではないかと考えますが、いかがでしょうか。」(p.29)といった発言はあくまでこれは「略称」の話であるし、また先ほどの「性」を軸とした関係性の中での困難という枠組みが確固としてある中で「困難女性」という主語すら大きすぎるものになってしまっている。しかし、この法律を「女性の福祉」「人権の尊重や擁護」「男女平等」といった視点を明確にするならば(1月31日院内集会にて配布された資料参照)、性的な暴力や虐待だけを特化すること(性的な暴力や虐待の問題を軽視するという意味ではなく、わかりやすい性的な関係だけではない形の女性の困難が存在すると言いたいだけである)は女性の多くの困難を取りこぼすのみならず、「困難女性」ということで自分が該当すると思って助けを求める多くの女性を各自治体で退けることになりはしまいかと、その混乱を大変恐れてもいる。女性の困難を即座に性的なものに限定していくことは、アジア女性資料センターが「(1/30)困難女性支援法のよりよい運営に関する院内集会へのメッセージ」にある「新法が差別的な売防法の枠組から真に脱するためには、性的侵害こそが女性の困難の中核にあるという本質主義的な見方」という批判に相当する部分でもあると私は考える。それは個々の女性が性的な虐待や暴力を受けて傷つくことは「犬に噛まれたものだから」みたいな言い方で軽視したり、性暴力や性虐待を受けて傷つくのはおかしいなどというトンチキな話ではなく、女性の存在のありようを「性的なもの」とだけ国家がみなすことのおかしさを私は批判しなければいけないと考えている。だからこそ「女性であることが脆弱さと結びつく多様な文脈が理解される必要」であるとは、女性がまさに性も含み込まれた人そのものの存在として「困難女性」を考えるべきだ、と私はこの困難女性支援法の施行を前にパブリックコメントを通して伝えていきたいと思う。

そうそう、最後に具体的な話。女性自立支援施設の設備及び運営に関する基準(省令)(案)、(冒頭のパブリックコメント募集の(2)に関係する)に記載されている「女性自立支援施設」の「設備基準」には「入居者一人当たりの床面積が、収納設備等を除き、おおむね9.9平方メートル以上とする」とある。これは以前の倍になったそうだ。それに繋がる話として「居室の入所定員」は「原則一人」となり(以前は複数人で同じ部屋に住むということもあったらしい)、「看護すべき児童を同伴する場合等」では「一人以上とすることができる」(以前は子供と離れて住まざるを得ないケースもあったという)とある。今回の困難女性支援法で具体的に役立つのはまずここの変更では、と私は思ったりするので皆様にお伝えして締めくくりたい。

 

 

 

2022年11月30日水曜日

『エトセトラvol.8』収録 インタビュー "ジュディス・バトラー 反ジェンダー、反多様性にフェミニズムは抵抗する (聞き手:清水晶子/翻訳:西山敦子(C.I.P.BOOKS) 企画・写真:間部百合)を読んで

 早速『エトセトラ vol.8』購入。絶対読みたかったのはジュディス・バトラーへのインタビュー(清水晶子さんがインタビュアー)。トランス女性とフェミニズムに関するガチのインタビュー。おおむね賛同のところは多く、特にトランス女性の在り方が男性性のパワーを解体する可能性をなぜ考えないのか、という問いはとても興味深いです。

とはいえ違和感がないわけではありません。今日は違和感のところをあげていきます。それが決して看過できないところだと思うからです。

例えばバトラーの(最初、清水さんが笑っているのかと思ったのですが、バトラーが笑っていたのでした!!。謹んで訂正いたします。申し訳ありません)、

"これらの国々(ナショナリズムが激しくなってる国:引用者注)の多くで貧困が増加してます。彼らには理解不可能なグローバル経済の財政的なプロセスの悪影響を被ります(略)そのように非常に激しい経済不安を抱えて生活してる人々は、ゲイやレズビアンやトランスとも、フェミニズムやジェンダー理論ともまったく関係ない理由で(笑)、一種の安全地帯として家族の概念に固執します”

とあるけど、そこの何が面白くて笑ってるのですか?ということとジェンダー理論と関係ないという話なのかという疑問です。

...ジェンダー理論と関係ないではなくその後に書かれてように家父長制を復活させたいがための家族固執なんだから、関係ないなどというぬるい話ではなく"個人"をなぜあらゆる生活の単位にしないのかという意味を考える上でもジェンダーに絡んだ重要な話のはずです。

そしてその貧困の問題が深く関わるはずのフェミテックと生殖技術の問題で、こちらもバトラーの発言で

"トランスフォビックなフェミニストたちは、男性が掌握するテクノロジーに深い恐怖心を抱いてます。彼らが究極的には女性の存在を不要なものにしてしまうのではないか"と発言してるのですが、どうにもトンチキ感があります。

"女性の存在を不要なものにする"

のを恐れてるのではなくこの言い方に倣うなら

"女性の身体だけを資源として必要とされる(金を払う)"

ことを恐れてるんではないでしょうか。だからこそ代理出産や子宮移植反対の話にもつながるし、またその代理出産の担い手が結局誰になるのか?という問題は貧困の話にもつながるでしょう。

有色人種の問題や言語の問題には今回のインタビューでもとても鋭いのに、貧困に対する言説がどうして急に甘くなるのかが不思議で仕方がありません。まるでジェンダーにだけ疎い人の逆バージョンを見るような不思議な気持ちになります。

ちなみに2006年のバトラー来日時、確かお茶大で講演があり私も嬉々として参加しました。あの時はメランコリーについて話していた記憶があります。

このあいだも北原みのり氏の記事とそこで引用されたバトラーの発言を批判しましたが、まさかバトラーを批判するなんてことをしたくなる日が来るとは、と改めて思います。その北原氏の記事もバトラーの発言にと"資本主義"そのものへの批判は見受けられず、今回のこのインタビューでも資本主義という言葉は出ていません。家父長制は出てきますが。※ちなみに今回の特集は"アイドル"ですがそちらの記事はアイドルの労働者性に関する内藤忍さんへのインタビュー記事しか読んでおらずすみません。。